トレインハンターズ九州(TrainHunterskyushu)は唐寺と呼ばれる長崎四福寺へ

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2013/02/23 昨夜はJR九州ホテル長崎さんにお世話になる。9Fの海側だったので夜は稲佐山、そしてJR長崎駅停車車両。今朝は、787系、シーサイドライナーと67系が仲良く停車しています。朝から満足です。

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朝食を終え、長崎駅からいざスタート!2日目は、長崎四福寺、長崎歴史文化博物館(長崎奉行所)、風頭山にある坂本龍馬之像、若宮稲荷神社、新地中華街にある釣鐘堂薬局などメニューはたくさんだ。がんばります。

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1つ目は福済寺。長崎駅前を渡りそのまま山に向かって直進(ちょっと坂になっています)。10分ぐらいゆっくり歩いていると案内板(筑後通り)が。上の方には大きな観音さんが見えます。

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鳥居というか門というかさすがに唐風です。上にある大鐘は、「鎮魂の鐘」といって時を告げる鐘ではなく昭和20年8月9日午前11時2分原爆が炸裂して一瞬にして市街は7万余人の犠牲者を出して生地獄と化したあの日、あの時を想定し御霊安かれと念じて毎日午前11時2分7打する原爆慰霊の大鐘です。(境内案内板より)

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境内に入ると巨大な観音様があります。この観音様、正確には万国霊廟長崎観音といい、昭和54年(1979)、原爆被災者と戦没者の慰霊と平和祈念のために建立されたもののようです。とにかく目立っています。

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寛永5年(1628)、覚海(かくかい)が開創。泉州寺や漳州寺(ちゃくしゅうじ)と称され、興福寺・崇福寺とともに三福寺と称される唐寺の一つです。(境内案内板より一部抜粋)

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福済寺を後にし案内板(筑後通り)に沿って5分程歩くと聖福寺に到着。案内板には、いろは丸事件の談判が、この聖福寺で行われたと。そして、龍馬は世論を味方にするため「船を沈めたその償いに、金をとらずに国をとる」という歌をつくり、長崎の街中に広めたと・・・(案内版より一部抜粋)

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延宝5年(1677)、隠元禅師の高弟木庵(もくあん)の弟子鉄心(てっしん)によって創建された黄檗宗の唐寺。興福寺、崇福寺、福済寺と並び長崎四福寺とよばれる。 先ずは階段を上がります。そして右です。

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大きな木々に覆われ中の階段を上り、先ずは境内へ。独特の雰囲気が漂う黄檗宗の唐寺って感じです。建築様式は和風。朱色塗りはあまり使われていません。何か情緒漂う寺院です。就職が決まっている寺院が好きという学生さんに会い一言二言・・・。

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禁教時代(1624~1644)の悲話が秘められたじゃがたらお春の石碑があります。石碑裏には、『長崎の鶯は鳴く 今もなほ じゃがたら文のお春あはれと』・・・。昔、この境内で遊んでいたという年配の女性と会う。「ここで作る精進料理は天下一品」と紹介される。料理本も出しているとか。

<編集日:2013/02/26> 長崎四福寺 福済寺から聖福寺へ

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筑後通りをさらに10分ぐらい歩くと、長崎歴史文化博物館(長崎奉行所)に到着。長崎奉行所という歴史的な建物の復元と同時に、現代的な機能も十分に備えた世界的にも大変ユニークな博物館。歴史の流れをトータルで学ぶにはもってこいの博物館のようです。

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入館すると正面に日本初の新婚旅行に出かけた龍馬&お龍と題した「坂本龍馬・お龍 新婚湯治碑」が。さらに風頭公園内にある坂本龍馬之像が同原寸法で出迎えてくれました。

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ここでは、長崎出島を窓口として行われた海外との豊かな交流、多方面への影響をテーマに紹介されています。大型超ワイドスクリーンでそれぞれのシーンが表れ、大変勉強になりました。改めて長崎の見方が変わりました。

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この長崎奉行所ゾーンは長崎歴史文化博物館のシンボル的な存在として、長崎奉行所立山役所の一部を復元整備。11時からの御白洲(密貿易や漂流民を取り調べる様子を寸劇により紹介)を体験することができた。「これにて一件落着」唱和(見物者全員)があります。出演者はボランティアの方です。ギャラは500円の「こんぺいとう」かな? 

<編集日:2013/02/26> 長崎歴史文化博物館へ

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長崎歴史文化博物館で歴史を学び、いよいよ風頭山頂にある坂本龍馬之像へ。バス停のある市役所別館前まで10分ほど歩きます。50番の風頭山行きに乗車。思案橋などを通過し山頂へ(15分ぐらい)。到着後は、迷子にならないよう地元案内板でもてなされますので安心です。

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バス停から10分程で到着です。いやー銅像といい、景色といい、天気もいい、何はともあれ感動です。龍馬の凄さ、勇ましさを感じます。園内には司馬 遼太郎「竜馬がゆく」の文学碑がある。・・・船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、「長崎はわしの希望じゃ」と、陸奥陽之助にいった。「やがては日本回天の足場になる」ともいった・・・と。

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この龍馬像は、「龍馬の銅像建つうで会」が建立。長崎在住の彫刻家・山崎和國氏が制作し、台座碑文は作家・宮地佐一郎氏。龍馬の実像に最も近い像と高い評価を受けている。(JR九州リーフより抜粋)。

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この風頭公園から長崎港を見ながら世界に向けた将来の日本を創造していたんでしょうね・・・。 風頭山の中腹にあたる亀山という場所に設立した日本最初のカンパニー“亀山社中”。世界へ進出することも考えていたのでしょう・・・。

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龍馬像、そして一面の景観を満喫後、次の行先「若宮稲荷神社」へ。途中、クライミング・ボルダリングを楽しんでいる人たちを見る。

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この公園はかなり桜が植えられているようです。花見の情景が伺えます。ぜひ来たいっす!

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龍馬之像から10分足らずで若宮稲荷神社に到着。明治維新前後、坂本龍馬など、多くの志士達が参拝したことから勤皇稲荷(または勤王神社)とも呼ばれています。風頭公園の像の原型として作られた坂本龍馬の像が建つ。(JR九州リーフより抜粋)

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約70もの朱色の鳥居をくぐりながら石段を下ります。偶然にも、聖福寺で出会った学生さんと出会いました。楽しいそうに上って来ています。さすが若さでしょう・・・。

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10分程ゆっくり下ると、次の参拝寺「興福寺」の案内板が。あと450mと。

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興福寺へ到着です。外国人の方々がたくさんいました。早速、拝観料300円を払い境内へ。港を見下ろす風頭山の山麓に寺院が並列する寺町通りに位置します。そのなかほどに、広いゆったりとした南方風の境内をもつ興福寺は、かつて日本のなかの中国だったそうです。雄大な朱色の山門により「あか寺」として市民に親しまれ、長崎を訪れる多くの人々が立ち寄る興福寺は、我が国最初の黄檗禅宗の唐寺・・・。(興福寺HPより抜粋)

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国宝重要文化財である「大雄宝殿(本堂)」入口に掲げられた『航海慈雲』の額‥‥航海の安全の祈りが込められている‥。

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鰍魚:けつぎょ(魚板)
飯時を告げるため叩いた木彫の魚。叩くとコーン コーンと案外遠方まで聞こえるそうです。

<編集日:2013/02/26> 坂本龍馬之像~興福寺へ

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ランチタイムです。豚肉、魚介、野菜など10種類におよぶ具たくさんに、鶏ガラのコクのあるスープが特徴の中国菜館 慶華園。地元だけでなく県外から訪れるファンも多いとか.。JR特を見せるとデザートにマンゴープリンサービスを受けました。チャンポン同様美味かったっす!

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腹ごしらえ後は5分程歩き、公会堂電停より長崎四福寺めぐり最後の崇福寺を目指します。

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電停の正覚寺下(終点)で下車し、バス停の崇福寺入口まで戻り右折します。数分で崇福寺前に着きます。崇福寺は国宝や重要文化財のあるすごいお寺のようです。

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先ずは三門(楼門)をくぐりますが、この三門は国指定重要文化財で、一般寺院の外門を山門というが、三門は禅宗寺院の場合そう呼ぶことが多く、三解説門(空門・無相門・無作門)の略であるという。(案内板より抜粋)

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第一峰門(国宝)
唐門、赤門、海天門などともいいます。正保元年(1644年)創設。元禄9年(1696年)改築。寧波で切組み唐船で輸入して組立てた。軒下の複雑な斗栱と、即非禅師の扁額「第一峰」で有名です。(案内板よりs抜粋)

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崇福寺大釜(長崎市指定有形文化財)
第2代住持であった唐僧・千がい(「がい」は凱の几の部分が犬)(千呆)性侒が、飢餓救済の施粥(せじゅく)のために造った大釜。4石2斗を炊くと伝えているそうだ・・・と。(説明パネルより抜粋)

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大雄宝殿(国宝)
崇福寺の本堂です。本尊は釈迦如来。正保3年(1646年)創建。十八羅漢は黄檗系彫像の代表作。。(崇福寺リーフより抜粋)

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鐘鼓楼(重要文化財)
享保13年(1728年)の再建。楼上に正保4年(1647年)開創時の檀越たちの名を連ねた梵鐘がかかっている。(崇福寺リーフより抜粋)

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正覚寺下電停です。長崎四福寺最後の崇福寺散策を終え、目指すは新地中華街エリア内にある釣鐘堂薬局です。どのくらいの「つりがね」かが見たいのです。昨夜付近を通ったのですが、明らかに見落としていました。

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電車も来たので、歩けば15分程度ですが乗車することにしました。

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築町電停で下車。長崎ランタンフェスティバルの影響もあり、かなりの人混みです。とは言いながら新地中華街を目指します。

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長崎ランタンフェスティバル新地中華街メイン会場では人、人、人って感じです。ステージ上でのショーも盛り上がっていました。丁度エイサーだったかな?

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長崎ランタンフェスティバル新地中華街メイン会場入り口前に、というか新地中華街アーケード入口角に「つりがね薬局」がありました。2階の軒から大きなつりがねが下がっていました。

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元気がひびく街の健康ステーション。(有)つりがね堂薬局です。長崎新地中華街南門湊公園前に大きな釣鐘と飛行機のプロペラの看板が目印の薬局です。2000品目を越す医療用医薬品、一般用医薬品、漢方薬、健康食品などを取りそろえています。日中医薬研究会会員でもあり漢方相談や健康相談を行っています。
どうぞお気軽にお立ち寄りください。(長崎新地中華街HPより抜粋)

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時計を見れば16時を過ぎていた。本日の行程はとりあえずクリア。もう一度同工程にゆっくり時間をかけチャレンジしたい気分です。でもまだまだ行きたいところがたくさんあります。まずはそこからかな?近日また来ますって感じです。

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17時過ぎ長崎駅ホームに到着。すると67系気動車が入線してきた。久しぶりって感じです。昨年の11月6日諫早駅での対面依頼です。まだまだ頑張って欲しいものです。

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帰りは885系特急かもめで。早めに並んでいたため運転台後席を確保できた。なんか子供に返った感じです。隣り座席では同年輩のご夫婦でご主人が今か今かとカメラ握って待っていた。なんか嬉しいっす!

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朝からの快晴が未だ続いています。おかげで島原半島がしっかりと撮影が出来ました。昨日からの長崎めぐり、改めて長崎の歴史を学んだような気がします。とっても楽しかったです。

<編集日:2013/02/26> 崇福寺~新地中華街の釣鐘堂



鉄道に乗って、
あそこへ行ってみたいあなたへ
鉄道に乗って、
あそこに泊まってみたいあなたへ
鉄道に乗って、
あれを食べたに行きたいあなたへ








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